十分な余白に文字ぽつーんの可能性に挑んでみた
初めまして、ごきげんよう。
記念すべき初投稿。
高校時代に、友人との旅行でビスコを持ってきたあげく、数ヶ月間「ビスオ」と呼ばれたおじさんこと、柊 陸凪だ。よろしくおねがいする。
正直、この記事はおもしろネタでいくか、デザインで書くべきかかなり迷った。そんなネタを、ティータイムにでもどうぞ。
私はみかんが好きだ。複合ショッピングセンターで、みかんの買い出しをしに食料品売り場へ向かう途中、僕はとある洋服店の前を通った。
その洋服店の看板は「単色の淡い背景に明朝体」という組み合わせという凄くシンプルなものであるのにも関わらず、なにか引きつけられるものを感じた。
そう、私はそのときふと思ったのだ。
「これはいわゆる、デザインするときに重要な、余白の美というものなのではないか」と。
私自身建築系の出身で、設計課題を作ったりするときに「余白もデザインの一つだ」と言われるようなことが多々あった。その時は何も気付いていなかったが、この年になってからそれをひしひしと感じるようになった。(確かに広告とかでも余白がきっちりある方が綺麗だし)
何もない、空虚の中、荘厳さを併せ持つような美の世界。
言ってしまえば、あの千利休が唱えたような質素さ「わび・さび」に通じる何かに近いのかもしれない。そう、あの何か厳粛で締まったような感じなのだ。
そこで、私は新たな仮説を考えた。
カッコイイデザインには「余白がメッチャ大事」ということは、つまり、、、
「『余白の美』に着目し、十分な余白をとった背景にワンセンテンス書いてそれっぽい色にすれば、くだらないワードであってもそれっぽくなるのではないか?」
そう、余白をふんだんに使ってパワーワードを一言添えるとそれっぽくなるのではないか。
いてもたってもいられなくなった私は、繁忙期を一山越えたある日、上記の実験をしてみることにした。
1)Linuxのコマンドを書いてみる。
「sudo pacman -Syu」
そう、ArchLinuxを使っている人ならおなじみ、アップデートコマンドで試してみよう。
ちなみに、もちろん僕は起動したときには必ずと言って良いほど叩いている。
まずは、MSゴシックと黒い文字で書いてみる。
フォントを変えてみる。
というわけで、DINにしてみた。特に深い意味は無い。
というわけで、色を変えてみる。
2)ダジャレを書いてみよう
流石にColdなダジャレを書いたら、幾ら余白でもださくなっちゃうのではないか。
私はこの記事のためだけに、Twilogを漁ってくだらないダジャレを探した。
とうとうそれっぽいのを見つけてしまった。
というわけで、当該日のツイを参照してみる。
「板荷にいたが」
「板 荷 に い た が」
「板 荷 に い た が」
自分で言うのも何でも寒い。それはそのはず。フォロワーに、当時真顔のエアリプをされていたツイートでもあるからだ。
この作業、ある種自分の†黒歴史†をふりかえるようなものなので、精神上よろしくない。遂に筆者も、このようなトゥーをmastodonでしてしまった。
「板 荷 に い た が ?」
実際に作ってみる
まずは、例の如くMSゴシックに黒の文字という組み合わせからスタート。
フォントを変えてみる
ゴシックか明朝か迷った結果、とりあえずまずは明朝の代表としてはんなり明朝にしてみた。
というわけで、Appleでも使われている、ヒラギノ角ゴW3にしてみる。
色を変えてみる。
今回は二つサンプルがあることだし、二つとも色を変えてみることにしよう。
まずははんなり明朝から。
次にヒラギノ角ゴの方。色々迷った結果グレーに。
3)童貞という二文字を書いてみる
「童貞」
見るからにダサさと弱っちさを感じる二文字。しかしながら、1920年代のように童貞はカッコイイとされていた時代もある。(今現在電子書籍で読んでいる、澁谷知美氏の著書「日本の童貞」にもそう書かれている。)そう、童貞というものは今でこそダサく扱われているものの、スタイリッシュなのだ。そう、貞操を貫くことには「美徳」がある。つまり、童貞という二文字でもこの法則に当てはめればスタイリッシュに童貞を表現できるのではないか。そう考えた私は、いても経ってもいられなくなり、実験をしてみることとした。
実際に作ってみる
まずは、いつも通り、みんな大好きMSゴシックと黒い文字の組み合わせ
フォントを変えてみる
明朝の方が多分上手くいきそう?なので、はんなり明朝にフォントを変えてみる。
色を変えてみた
4.結論
いかがだっただろうか。十分な余白にワンセンテンスを書いて、それっぽいフォントとそれっぽい色に変更するだけで、大きく印象が変るということがわかるだろう。それは、ダサいワードであっても格好良く見せる可能性を秘めているということに繋がるだろう。
余白とフォントと色、大事よ!!